はじめに

とくに書きたいこともないので淡々と自分の精神状態について記していきたい(精神疾患の体験談という対外的意味を含む。あと自分が急に自殺したときのため。いや自殺する時はブログとツイッターは消すか。そんくらいの理性はあってくれ自分)。回らない頭で書いていくので文章が多少おかしくても許してくれ。

これを書いている自分にも現時点じゃ着地点が分からないってところがミソなんですよねこれ。

身内に見られたら「なんかごめん」みたいになられる気がするな。まぁいいや。

 

何から書けばよいかが分からないが、とりあえず最初に精神科に行った時の話をしたい。

私は浪人生で、5月、まだ浪人生活が始まったばかりだった。

予備校からの帰り道に、胸が苦しくなった。場所が場所だから最悪命に関わるため、翌日の授業が終わった後、すぐに内科に行こうと考えた。

(よく覚えていないがこの胸が苦しい感じ自体はもっと前からあった気がする)

翌日も胸部の苦しさは続いた。予備校での授業中に自分は死ぬかもしれない、一刻を争うと思ったので、午後の授業を切って病院に行った。

しかし、今思えば、ここで内科に行く本当の目的は「精神科に行ったときにもう既に内科に行ったという免罪符を作るため」であったように思う。

(このころから精神科に行くというのは既に意識していた。いや本当のことを言うともっと前からなのだがまぁその話はまた今度)

予備校近隣の内科に良くも「心拍数が早すぎるから念のため大学病院でレントゲンを撮ってもらってこい」と言われる(心拍数早すぎたのは死ぬかもしれない気がしてたからだよねたぶん)。

大学病院を紹介されるも内科に行ったせいで軍資金がなくなり河合塾で事情を話して1万借りた。人生初の大学病院で検査を受けるも異常なしと言われる。

(この検査を待っている時間に自分が急死する気がして気が気ではなかった)

ちょっとここまでで状況を整理しておくと、自分が「胸が苦しくて死ぬかもしれない」と思っておきながら、異常があるのは本当は体ではなく精神の方である、と自覚していたということになる。この時点で大分矛盾している。

異常がないと言われ、騒ぎすぎたかとやや反省しつつそのまま帰宅した。

 

たぶんその後のことだ。

身の回りのもの全てが凶器に見えた。まず、電車は脱線して死ぬ可能性がある。地下鉄通学だったので天井が崩れてきて生き埋めになる可能性がある。地上にいても地面が陥落して生き埋めになる可能性がある。飛行機が墜落してくる可能性がある。歩道橋が急に崩れて落下する可能性がある。エレベーターに乗れば線が切れて落下する可能性がある。

anotherなら死んでいた世界線に数日間滞在した。流石に無理だもうどうしようもないと思い、精神科に行った。

不安の症状があることを医師に告げると、「大したことないだろう」といったことを言われ、抗不安薬睡眠薬を少し貰って帰宅した。

睡眠薬は飲むと確かに眠れるのだが、この抗不安薬が全く効かない。身の回り全てが自分の死因な気がする状況は続いた。

厚生労働省のHPで年齢別死者数を調べ1年で死ぬ確率を計算してその低さを確かめても気が晴れない。「不滅のあなたへ」を買って読んでみて死に対する価値観を学ぼうと思って買って読んだのだが特に効果はない。

その数日後、今度は頭に形容しがたい違和感を感じた。脳の病気かもしれない。急いで親に連絡し内科に行きたいと告げると「内科より先に精神科に行け、そこで見てもらって異常があれば紹介状も書いてもらえるから」と言われた(親的には脳の病気なのではなくそう思い込んでいる私の精神の方に問題があると見て分かったのだろう)。

前回胸が苦しくて内科に行ったときは「体じゃなくて精神の問題だろうなぁ」と思っていたが、この時は完全に脳卒中か何かでもうじき自分は死ぬんだという気になっていた。

私は仕方なく親の言う通り精神科に行った。診察室に入ると医師は私の顔色を見るなり「もう大丈夫でしょ」みたいなことを言ったが大丈夫ではなかった。頭に違和感があるから脳の病気かもしれないこと、数日前に胸が苦しくて内科に行ったことを話した。

前回病院に来た時にチェックシートのようなものをやらされていた(おそらく、うつ状態の診断の)。その結果と合わせ、うつ病の心気妄想というやつだろうという説明をされた。なんでも、うつになると脳の機能が弱ったかなんだかで自分が病気だと思い込むことがあるらしい。

そして私は抗うつ剤を処方され、それを毎朝飲むことになったのだ。

 

(つづく)